○1995.1.17 05:46
 その瞬間を、私は大阪の千里丘陵の麓にあった、学生街の下宿で体験しました。既に多く語りづがれているように、轟音と突き上げるような衝撃がベッドを伝わり、寝ぼけるどころではありませんでした。私の下宿していた街の震度は5ということでしたが、”体感震度”はそれ以上でした。最も大きくゆれた瞬間は、床か通いなれた大学からの下り坂と同じくらいの勾配に見え、全てが転げ落ちるのではないかと、本当に肝を冷やしました。
 ゆれが治まると、今度は大家さんや近所の方々が、大きな悲鳴をあげ屋外に飛び出し”どないしたん、地震?爆発?”まさにパニックでした。
 そんななか、大学で地理学を専攻し、近畿には活断層が密集しており、2ヶ月前に発生していた猪名川町の群発地震に関する住民説明資料などを作成した経験もある私は、”どこかの活断層が動いた、揺れの方向と強さからみて六甲か有馬・高槻線か、いずれにしても凄まじいことになった、友達、後輩は大丈夫か”と妙な頭の冷静さとまったく身動きのできない体と、表現しにくい不可解な状態にありました。

○地震は体で、被害は報道で知る
 周囲を見渡すと、下宿街には建物の被害はほとんどなく、書棚から落ちた本を片付けるくらいの程度ですんでいました。喫茶店などは、割れた食器なども少なく、普段どおり営業をしていました。ふとテレビをつけると、神戸の惨状が映し出されていました。
 1週間ほどたって、神戸にいた後輩が大学へきました。彼の身内や友人などには怪我をした方、大きな被害を受けた方はいなかったということをまず聞きました。ああ、よかったと思い、”それにしても近畿には活断層がいっぱいあるからな、これからの防災対策も・・・”などど、軽口を挟んだら”そんなん関係あるか!”と一喝されました。私は単に地震動を体感したのみで、被災はしていない。デリカシーのなさも痛感しました。

○建設コンサルタント業につく
 その年の4月から、東京の建設コンサルタント会社に就職し、活断層の空中写真判読や過去の地震による崩壊地形調査などに携わることになりました。それから数年、いや10年以上も防災関連事業の仕事をしているだけで、自分は防災技術者なのだと思い込んでいました。しかし、最近それは勘違いかうぬぼれかと思うようになりました。よくよく考えてみると、阪神・淡路大震災と2004年新潟県中越地震がなかったら有り得なかった仕事についていた時間は、いままでの実務経験の半分を占めています。
 
○”知識の連呼”と”脅し”は逆効果
 当然災害は未然に防いでこそ意味があります。だから災害に関わる自然科学の知識をもっと世間に浸透させるべきだと、私はこれまで考えていました。それはそれで間違いではないと思うのですが、群馬大学の片田教授は、次のように述べておられます。

 
教育には3つの種類があります。1つは「脅し」の教育。2つめは「知識」の教育。最後が「理解」の教育です。
 脅しの教育というのは文字通り、「対策しておかなければ、こんなひどいことになりますよ」と脅すやり方です。けれど、怖いという気持ちは長続きしないんですね。自動車教習所で事故の写真を見せられても、帰り道くらいは気を付けるかもしれませんが、翌週にはもう忘れている人が大半でしょう。ですから、脅しで教育するというやり方は、たぶん間違いだと思っています。
 2つめの知識の教育も、無効ではないけれど、必ずしも行動に結び付かないところが課題です。先ほど、人の情報の受け取り方は非対称だという話をしましたが、災害など、リスクに関わる情報というものはどうしてもゆがんで伝わってしまうものなのです。

 知識を連呼する防災教育には、あまり意味はありません。受け取る側だって、そんなこと十分分かっているんですから。でも、知識を連呼しても効かないから、今度は脅し始める……そうしたやり方はあまり有効ではないと思います。

 つまり、みんな「逃げなくてはいけない」ということは分かっています。百も承知なのですが、避難するという意志決定ができないだけ。けっし
防災意識が低いから逃げないわけではなく、高くない、ということなのです。危機に備えないというのは人のさがです。そこをどうやって乗り越えていくか――津波がきたそのときに「ああ、やっぱり逃げてよかった」と思える、その一回をどう勝ち取るかが勝負です。これは結局、人間の心との戦いです。いくら専門家といっても、対象はITではなく「人」です。合理的な行動を取れない人、人のさがというものを前提に、どうするかを考えていかなければならないと思います。

いくら警告してもセキュリティ対策が進まない理由
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0704/24/news005.html


 
引用がかなり長くなりましたが、多分『事業』に関わってるという意識が強いほど、このインタビューには耳が痛くなると思います。

○1.17に想う
 それから13年がたちます。この間、世間では”情報は公開することが前提”という大きな変化が起こりました。地形・地質学による客観的な分析や考察の結果をわかりやすく表現するのが今後も私の仕事の主体を占めるでしょうが、人間くささも加味して表現したいと想う今日です。

下河 敏彦

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1.17に想う − 被災と体験の間、防災を考える